2007年7月27日 星期五

【風水仙の話】




台北の淡水河のお話


 


まだ夜明け前、朝四時ごろ淡水河のほとりはもう人声で賑わいっている。


漁師達は、魚の入れ卸し忙しくしています。魚はぴちぴちと勢いよく竹籠の中でとはねています。暫くしてから、これらの魚を魚市場へ持って行き、台北城内の需要を満たします。それに、乾物の卸売業者が、わざわざ大陸や滬尾から船に乗って来ています。岸辺の荷役労働者に命令して、物を牛車に運び込んで、そして、通化街まで販売に行きます。


河辺に立つと、せせらぎの音が聞こえます。さらさらと止むことなく流れていて、河底の砂地や川蝦が見えるような澄んだ水です。春のになると、朝早く河へ洗濯にくる人をよく見かけます。




(本文章為了防犯盜拷!因此只秀部分日文翻譯,敬請見諒)



風水仙の話   


日本統治時代の話です。ある有名な風水師がいました。その人は「阿徳仔仙」と呼ばれていて、土地と良日を探すのが得意だったそうです。よく「龍找穴、看巒頭」、風水による地形を研究しにいき、この方面ではとくに、霊感が効き、よくあたったそうです。


彼は先祖伝来の秘法を受け継ぎ、「奇門遁甲の術」に精通していたそうです。だから、紙札を書いたり、婚約の日にちを選んだりするのがうまかったそうです。昔の風水師の家系はほとんど代々男子が一人生まれるだけで、子がいないとその秘法は失伝してしまいます。どうしてそういう現象が現れたのでしょうか?原因を話すと話は長くなります。昔は風水師が一人前の風水師になり、師匠と神様の前で、線香を焚いて、誓文を読み上げるそうです。その誓文とは、この仕事をやる人は、人を助け、人に危害を加える人や奸佞のために仕事をしてはいけない。戒を破ったら、天罰がくだされるであろう。孤、寡、貧、賤、破など五つの戒から逃れられないと言った意味の誓文です。


遺憾なことに、この風水師「阿徳仔仙」にはずっと子供が授かりませんでした、ようやく授かったかと思うと、それは男子ではなく、女子でした。彼の女房阿猜は、彼に跡取りができるように一生懸命考えていましたが、実際と願いは異なり、その想いはなかなか実現せずにいませんでした。「阿徳仔仙」は性格大らかで、それを一向に気にしていません。いつもと同じように、風水を看てあげたり、暇であれば、タバコを吹かしながら、家の前の古い柵を眺めたりして、自分の世界に浸っているといった生活をしていました。